親愛をこめて

 


村上知彦より 湯田伸子へ、
 限りなき親愛を込めて


同人誌時代から今に至るまで、常に一貫した姿勢で、読者に語りかけている湯田さん、僕はそんな湯田さんがとても好きです。

 湯田伸子様、ごぶさたしています。お元気ですか。あなたの新しい単行本の解説を依頼されましたが、解説でも評論でもなく.お手紙。を書きます、と言い出したのはぼくでしたが、いぎ書き始めようという段になって、少しためらいを感じています。予定では、あなたのところにちゃんと便箋に書いた“.お手紙”と、.それを原稿用紙に書き写したものを送って、編集さんの方へは、湯田さんから届けてもらおうというつもリだったのですが、考えてみれば、それもずいぶん身勝手なお願いです。つまりは私信を公にするということなのですから、一方的にそれを受けとり公開するための中継までするのはずいぷんと気の重いことに遠いないと思い直して、やはり別々に出すことにしました。湯田さんって、そういうことをとても気にする方だと思うのですが、違いますか? 気にするくせに「はあ、そうですか」と言ってつい了承してしまい、後でまた「なぜあの時はっきりとイヤですと言えなかったのだろう」と考え込む、そんなイメージがあります。ぼくがそうだから、そう思いたがっているだけかもしれませんけれど。今回、評論でなく"お手紙を書くことにしたのも、そんなところからです。

 漫画でもそうだと思うけれど、原稿を依頼されてじゃあお引き受けしますとか言って、繍め切りが来ると催促されて、何度も「すみません」とあやまって……そんなことを繰り返しているうちに、原稿って依頼されないと書けないものだったんだろうかという疑問がわいて来たのです。そうじゃなくて、書きたいから書く、自分に書きたいことがあるから書くのであって、依頼されるというのはたまたまひとつのきっかけであって、自分の中の書きたいこととそれが一致したからこそ引き受けたのだ、というのはひとつのタテマエです、でも実際は、なんだか断り切れなくてという場合も多いんじヤないか。というより、そのへんの感覚がどこかで逆転してしまったような気がする。では依頼されずに、まったく内発的な動機で書く文章で、しかも他人に向けたものってなんだろうと考えた時に、ぼくが思いついた方法が.お手紙出だったのです。

 いまあなたの最初の作品集、お茶大SF研の会誌『コスモス』臨時増刊総特集・湯田伸子を読みながら、これを書いています。
 
 その中に、この本に納められた「時のオルフェ炎の道行」の原型になった・同じタイトルの16ぺージの作品がありますが、同人誌時代も商業誌に連載を持つようになった今も、湯田さんの作品の本質は少しも変わっていないように思います。それは素敵なことです。だぶん湯田さんにほ、あなたの漫画を読みたがっている人、ひとりひとりの顔が見えていて、彼女たちにお手紙を書くように、いまもケント紙に向かい続けているのでしょう。プロだから時々は苦しいこともあるでしょうが、あなたのやり方はまちがっていないと信じて、がんばって下さい。またお手紙がきます。